大須賀信敬(組織人事コンサルタント)
他国に支店を開設して事業展開を図るなど、日本企業が海外に進出するケースは少なくない。その際にぜひ理解しておきたい仕組みのひとつに、国家間で締結される「ソーシャル・セキュリティー・アグリーメント(Social Security Agreement)」と呼ばれる協定がある。今回は、経営者・組織リーダーとして把握しておきたい本協定の機能・効用を整理してみよう。
他社の給料を合算して決める社会保険料
社会保険では、同時に複数の企業で厚生年金・健康保険に加入する勤務形態を二以上事業所勤務という。二以上事業所勤務をする社員の月々の給料にかかる社会保険料額は、他社でも加入中であることを踏まえて額が決定される。
海外進出企業の社会保障トラブル解消を目的とする国家間協定
ソーシャル・セキュリティー・アグリーメントは、日本語では社会保障協定と呼ばれる。これは国家間で締結される約束事で、例えば日本とアメリカとのアグリーメントであれば、日米社会保障協定と称される。
この協定は、企業が他国に支店などを開設し、母国から相手国に人材を赴任させる際に発生しがちな社会保障上の不都合を回避することを目的としている。なかでも、人材の海外赴任に付随して発生しがちな年金問題の削減に主眼が置かれている。
海外進出企業および海外赴任者が被る年金上のデメリット解消を図り、企業の活発なグローバル展開を後押しする仕組み。それがソーシャル・セキュリティー・アグリーメントである。
海外赴任時に直面しがちな2つの年金問題
日本企業が海外に支店などを開設してわが国から人材を赴任させる場合には、通常は日本と相手国の双方の公的年金制度への加入義務が同時に発生する。その結果、両国の制度に年金保険料の納付義務を負う「二重負担」が生じ、国内勤務時に比し企業および海外赴任者の経済的負荷が過大になりやすい。
また、わが国を含む多くの国の公的年金制度では、年金受給の条件として一定年数以上の加入実績を要求する「加入年数の要件」を設定している。例えば、老齢年金を受給するためには、当該年金制度に10年以上加入した実績を必要とするなどである。
そのため、海外赴任の期間が相手国の老齢年金を受給するために必要な加入年数よりも短い場合には、年金の受給資格を得られないまま海外勤務を終えなければならない。赴任期間が短いために相手国の年金を受け取れないことが分かっていても、保険料の納付義務は免れないのが通常であるため、支出した年金保険料は全て「掛け捨て」となる。
以上のように、日本企業が海外進出をした際には、多くのケースで年金保険料の「二重負担」と「掛け捨て」という2つの問題に直面することになるのである。
ソーシャル・セキュリティー・アグリーメントの2つの効用
以上のような問題を解消するため、国家間で取り決めるのがソーシャル・セキュリティー・アグリーメントである。具体的な内容は相手国によって一律ではないが、次の2つの条項を盛り込むものが多い。
1番目は『年金保険料の二重負担の回避』に関する条項である。これは相手国への赴任予定年数に応じ、一方の国の年金制度だけに加入すればよいことを取り決めるものである。一般的には5年を区切りとし、相手国への赴任予定期間が5年以内であれば母国の年金制度のみに加入し、5年を超える予定の場合には赴任国の年金制度のみに加入すればよいことが約される。
2番目は『短期加入の年金化』に関する条項である。これは年金を受け取るための「加入年数の要件」について、母国と相手国の両年金制度の加入期間を合算して判断する「年金加入期間の通算措置」を取り決めるものである。
例えば、老齢年金の受給には10年以上の加入実績が必要な国へ、6年間赴任したとする。この場合、赴任国の年金の受給資格は得られないのが通常である。しかしながら、国家間で「年金加入期間の通算措置」を取り決めている場合には、母国と赴任国の両年金制度の加入年数を合算して10年以上あれば「加入年数の要件」を充足しているとされる。その結果、赴任国の年金が6年の加入に応じた額で受け取れるものである。この取り決めにより、短期間の海外赴任でも保険料負担が年金受給に繋がり、掛け捨てが生じることがない。
わが国との間でソーシャル・セキュリティー・アグリーメントが発効している国は、2000年のドイツを皮切りに増加を続け、本稿執筆時点で23カ国に上っている。また、2023年5月13日には、オーストリアと協定の締結で実質的な合意に至ったことが厚生労働省から発表されるなど、今後も増え続けることが期待できる状況にある。
相手国ごとの定めの相違に注意も
ソーシャル・セキュリティー・アグリーメントは、相手国ごとに内容が必ずしも一律ではない。そのため、ある国に対して有効であった取り決めが、他の国とでは無効になることもあり、注意が必要である。最も代表的な相違点が『短期加入の年金化』に関する条項の取り扱いである。
実は現在、わが国との協定が発効している23カ国のうち、韓国・中国・英国・イタリアとの協定に限っては「年金加入期間の通算措置」に関する定めが置かれていない。そのため、これら4カ国に支店などを開設して社員をわが国から赴任させる場合には、相手国の年金制度の加入期間だけで「加入年数の要件」を充足できなければ、その国の老齢年金は受け取れないのが通常となる。
従って、これら4カ国に事業展開をする場合には、年金保険料の掛け捨てが生じないような赴任期間を設定するなども検討の余地があるであろう。各国の「加入年数の要件」は韓国・英国が10年、中国が15年、イタリアが20年を原則としている。
とかく、海外進出時の年金問題は見落とされがちである。しかしながら、海外赴任の開始後に困惑することのないよう、戦略的に取り組みたい問題といえる。
【参考】
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