大須賀信敬(組織人事コンサルタント)
令和元年9月1日、日・中社会保障協定が発効した。これに伴い、日本企業が中国に進出した際などの年金上の取り扱いが、それまでと大きく変更になったことをご存知だろうか。今回は、日本企業の中国展開に伴って利用可能な「日・中社会保障協定」の仕組み、協定利用上の留意点を考えてみよう。
社員の中国赴任に伴って発生する「年金保険料の二重負担」
日本に国民年金や厚生年金保険の制度があるように、他国にも “その国の年金制度” が存在することがある。そのため、年金制度を持つ国に日本企業が社員を赴任させる場合には、「“日本の年金制度” と “赴任国の年金制度” の両方に加入しなければならない」という問題が発生することが多い。
中国の場合、平成23年10月から中国で就労する外国籍者は、“中国の被用者基本老齢保険” という年金制度に加入することが義務付けられている。そのため、平成23年10月以降、日本企業が社員を中国に赴任させる場合には、赴任を命じられた社員が “日本の厚生年金保険” と “中国の被用者基本老齢保険” の両方に加入しなければならなくなった。
その結果、日中両国の年金制度に保険料を納めなければならないという問題が生じるようになったものである。これが、中国赴任に伴って発生する「年金保険料の二重負担」という問題である。
協定により赴任後5年間は “中国の年金制度” への加入が免除
このような問題を解消するため、平成30年5月、日中間では「社会保障に関する日本国政府と中華人民共和国政府との間の協定」(通称「日・中社会保障協定」)が署名され、令和元年9月1日に発効したところである。
この協定により、日本企業が社員を中国に赴任させる場合、原則として中国赴任から5年間は、“日本の厚生年金保険” にだけ加入すればよいことになった。その間は、“中国の被用者基本老齢保険” への加入は免除されることになったものである。
中国赴任から5年が経過した後は、“中国の被用者基本老齢保険” にだけ加入し、その間は “日本の厚生年金保険” への加入が免除される。その結果、中国赴任中はいずれか一方の年金制度にだけ保険料を納めればよいことになり、「年金保険料の二重負担」という問題が解消されたものである。
協定を利用する上では留意点も
このように、中国展開を行う日本企業にとり、非常にありがたい日・中社会保障協定がスタートしたのだが、制度利用上は次のような留意点も存在する。
中国当局に『適用証明書』を提出しなければならない
「年金保険料の二重負担」を回避する日・中社会保障協定のメリットは、自動的に適用されるわけではなく、中国展開を行う企業側に一定の手続きが義務付けられている。具体的には、日本の年金事務所に申請をし、『適用証明書』の交付を受ける必要がある。
『適用証明書』とは、日本の年金制度に加入中であることを公式に証明する書類である。社員が中国に赴任した後、この証明書の原本を中国の社会保険料徴収機関に提出して初めて、“中国の被用者基本老齢保険” への加入が免除されることになる。このような届出を行わない場合には、加入は免除されないので注意をしたい。
令和元年8月31日以前の期間は、協定の対象にならない
日・中社会保障協定の基本的な考え方は、「中国赴任から5年間は “日本の厚生年金保険” にだけ加入する。その間は、“中国の被用者基本老齢保険” への加入は免除される」というものである。
ただし、中国の制度への加入が免除されるのは、あくまで協定が発効した令和元年9月1日以降の期間についてだけである。協定発効前から中国に赴任している場合に、令和元年8月31日以前の中国赴任中の期間について、さかのぼって “中国の被用者基本老齢保険” への加入が免除されるわけではないので、注意をしたい。
「加入期間の通算措置」は行われない
現在、わが国は20カ国と社会保障協定を締結しており、そのうち多くの国との協定で「加入期間の通算措置」を約束している。「加入期間の通算措置」とは、日本と赴任国の年金加入期間を合算し、老齢年金の受給権を発生させる仕組みである。
例えば、日本企業が社員をアメリカに6年間赴任させ、その間はアメリカの年金制度に加入したとする。アメリカの年金制度は10年以上加入しないと老齢年金の受給権が発生しないのが原則のため、6年間だけアメリカの年金に加入した社員は、アメリカの老齢年金をもらう条件を満たさないことになる。
しかしながら、日米間では社会保障協定を締結しており、上記のようなケースでも、日米両国の年金制度の加入年数を合算して10年以上あるのであれば、アメリカの老齢年金を受け取れることとしている。このような仕組みを「加入期間の通算措置」という。
“中国の被用者基本老齢保険” から老齢年金を受給するためには、必要な加入年数は15年とされている。ただし、日・中社会保障協定には「加入期間の通算措置」がない。従って、中国の年金制度への加入期間だけで15年以上ない場合には、原則として中国の老齢年金が受け取れないことになるので、注意が必要になる。
平成29年10月1日時点で、海外に進出している日系企業は7万5,531拠点あり、国別では中国が最も多く3万2,349拠点である(海外進出日系企業実態調査平成30年要約版/外務省)。その意味では、日・中社会保障協定が中国展開を図る日本企業に与える影響は、決して小さくない。中国に拠点を設けるなどの際は、日・中社会保障協定のメリットを享受するための手続きを忘れずに取ってもらいたい。
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