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社会保険料回避行為と経営者の社会的責任

                       大須賀信敬(組織人事コンサルタント)


2年ほど前のことだが、東京都内のタクシー会社が香港に実体のないダミー会社を設立して厚生年金保険料を低く抑えていた事実が発覚したことがあった。厚生労働省は同社に対して負担を逃れた過去の保険料数千万円の支払いを求めるとともに、同様の事例が全国にあるとみて、日本年金機構に疑いのある事業所への調査徹底を指示した。果たして、このような企業行動は経営的観点からどのように解釈すべきなのだろうか。



実体のない海外法人による “保険料逃れ”

日本国内に所在する企業は厚生年金の対象となる適用事業所とされ、従業員への給与等の支払い額に応じ、従業員と折半して厚生年金保険料を支払う義務を課されている。しかしながら、海外に所在する企業の場合は日本の厚生年金の適用事業所とはならないため、海外に所在する企業が従業員に給与等を支払った場合、特殊なケースを除き一般的には厚生年金保険料の支払い義務は生じない。


本件では、都内のタクシー会社が香港の海外法人から出向者を受け入れ、海外法人と国内タクシー会社の両方から給与を支払いながら勤務させていたという。ただし、厚生年金保険料は国内タクシー会社が支払う給与だけをもとに納めていたものである。これは、海外に所在する企業は日本の厚生年金の適用事業所とならないため、適用事業所ではない海外法人から支払われる分の給与は厚生年金保険料の計算・徴収の対象にならないという解釈に基づくものと思われる。海外法人から支払われる分の給与を加味しない分、保険料負担も小さくなるわけである。


ところが、本件ではそもそも海外法人自体に実体がなっかた。つまり、この国内タクシー会社は実体の存在しない海外のダミー会社から従業員の出向を受けていたことになる。それでは、出向者とされる従業員は一体どこからやって来たのか。実はこの出向社員は、もともと国内タクシー会社で採用された人員とのことである。


つまり、国内タクシー会社で採用した人員を実体のない海外法人に書類上転籍したことにし、さらにその海外法人から出向者として受け入れる形を偽装したものである。その上で給与の一部を実態のない海外法人から支払ったことにし、その分には厚生年金保険料が掛からないようにしたようである。


経営者の “保険料逃れ” は繰り返される

本件以前にも、厚生年金の保険料逃れのために企業が実施する行為が大きく問題視されたことがある。元来、厚生年金の保険料は月々の給与だけから払うものであり、ボーナスからは払う必要がなかった。ところが、保険料負担の軽減を考える企業の中から、この仕組みを逆手に取るケースが出てきた。


「月々の給与を減額し、その分をボーナスに上乗せして支払う」という手法が多くの企業で用いられるようになったのである。この手法を採れば、月々の給与が減るため給与額に応じて決まる厚生年金保険料も少なくて済む。少なくなった給与はボーナスとして支給すれば、年収ベースで従業員の収入が減ることはない。ボーナスには厚生年金保険料が掛からないので、ボーナスが増えても保険料負担の問題は生じない、というわけである。


このような行為は、当時の法律に照らせば確かに違法とは言えない。しかしながら、わが国の年金制度では、現在の年金受給者に支払う年金は現在納められている保険料が充てられている。各企業が今まさに納めている厚生年金保険料が現在の老齢者、障害者、家族を亡くした遺族への年金支払いの原資になっているわけである。


それにもかかわらず、多くの企業が給与とボーナスの支給バランスを変えることで保険料逃れを行う実態を放置すれば、現在の年金受給者への支払い原資が不足する事態にもなりかねない。そこで、給与とボーナスの支給バランスを変えても厚生年金保険料の負担が変わらないよう、平成15年度よりボーナスからも保険料を徴収するように制度が変更された経緯がある。


社会保険料の支払いは企業に課せられた「社会的責任」

売上高の増加が困難になってきた昨今、利益獲得の手法として「経費を削減する」という取り組みは必須であり、それ自体を否定するものではない。ただし、経費削減の際に気をつけなければいけないのは、「これは本当に削減すべき費用なのか」を見誤らないことである。


この点を見誤り、「削減すべきではない費用」「削減できないはずの費用」に手を付けてしまった場合、企業の倫理性・健全性は一挙に瓦解してしまう。ましてや、企業が支払う厚生年金保険料は現在の年金受給者への年金支払い原資であり、なおかつ社員の将来の財産権を保証する金銭である。


この点から考えると、企業を経営する者の社会保険料支払いの意義は、企業側が考えるよりも遥かに大きい。企業が社会保険料を支払う行為は、まさに企業が求められる「社会的責任」を果たす行為だからである。企業を経営する者はこの事実を決して忘れてはならない。

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